【恋する西洋絵画】愛に生きた色男の絵は、社会の障壁をも越えたのです。|画家フィリッポ・リッピ

らぶりりライターのナナシロです。

 

西洋絵画の背景から見えてくる人間模様、恋模様を紹介する「恋する西洋絵画」企画の第二弾です。

 

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バックナンバー

  1. 黒一色で描く内気な画家を変えたのは、愛でした。

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今回紹介するのは、レオナルド・ダ=ヴィンチが生まれる50年ほど前のルネサンス期に活躍したイタリアの画家、フィリッポ・リッピ

フィリッポ・リッピの自画像

フィリッポ・リッピの自画像(引用:Wikipedia)

彼のとある作品を紹介するのですが、どんな作品かは彼の人生や人柄について触れた後の、最後のお楽しみということで。

それでは、恋する西洋絵画の世界へご案内しましょう。

 

人間的なものが求められるようになった”ルネサンス”

フィリッポ・リッピの画業について話をする前に、彼の活躍した時代背景に触れる必要があります。

彼が活躍した15世紀はそれまで絶対的な権力を持っていたキリスト教の修道院が徐々に力を失いつつあり、それと共に、修道院を中心にできあがっていた静謐で禁欲的な文化も失われていきました。

 

そうして出てきたのが、ルネサンスという意識です。

ルネサンスはフランス語で「再生」を意味します。

キリスト教の教えに従って、慎ましく禁欲的であることを奨励していたこれまでに対して、おおらかで開放的で、人間や自然の存在に重きを置いていた古代ギリシャ・ローマの文化を”再生”しよう、というのがルネサンス期の特徴です。

 

ルネサンス期に入ったことで、絵画の世界でも大きな変化がありました。

ルネサンス以前は、キリスト教の教えに合わせた絵ばかりが描かれていて、自然の描写にはリアリティーを感じませんし、人間の描写も生きている感じがまるでしませんでした。

ルネサンス以前の代表的な絵画

ルネサンス以前の代表的な絵画(引用:Wikipedia)

よく見比べていただきたいのでちょっと大きめに表示しましたが、この絵で描かれている人物はどれも無表情で冷たい感じがしますよね。

手足の動きもぎこちなく、椅子の描写もあまり立体性が感じられません。

 

このような人工的で冷たい感じ絵から、人間味を帯びた絵へと変わっていく過渡期に生まれたのがフィリッポ・リッピでした。

 

 

愛する女性のもとへ〜深夜の脱走劇〜

フィリッポ・リッピは生まれて間もなく孤児になり、修道院に預けられ育ちました。

小さい頃から勉強嫌いのわんぱく坊主で、典型的な悪ガキでした。

彼を育てていた修道士も相当手を焼いたようです。

ただ絵画については小さい頃から惹きつけられていたようで、すぐに才能を発揮し20代で仕事の依頼が舞い込むようになりました。

 

ただ、フィリッポ・リッピには重大な課題がありました。

それは彼が大の女好きだったことです。

 

当時の画家は、ほとんどが修道会に所属する修道士でした。

修道士はキリスト教の信仰者として模範的であることが求められます。

淫らなことはせず、信仰に厚く、慎ましく生きる必要がありました。

 

が、フィリッポ・リッピはそんなことお構いなく、しょっちゅう女性と浮名を流し、そのたびに

「俺は彼女を愛しているから、絵なんか描いちゃいられないんだ〜!」

絵画の制作を放棄して脱走していました。

 

あるときフィリッポ・リッピを経済的に支援していたパトロンのコジモ・デ・メディチは、彼が逃げ出さないように自分の家に閉じ込めてしまいました。

しかし、コジモが翌朝部屋を見に行くと……、もぬけの殻ではありませんか。

 

なんとフィリッポ・リッピ、愛する女性に会いにいくために夜中にベッドのシーツを切り裂き、窓からそれをつたって脱走してしまっていたのです。

 

コジモはさすがに怒りすぐに彼を連れ戻したのですが、なんだかんだフィリッポ・リッピを許し、その後は諦めて好きにさせていたようです。

 

ルネサンス期以前であれば、修道会はより厳格だったためきっと一発で破門だったでしょう。

きっとフィリッポ・リッピが破門にならなかったのは、彼の仕事っぷりやキャラクターが愛されていたことが大きかったのだろうと思います。

 

30歳年下の修道女と駆け落ちして修道院を出禁に

なんだかんだ怒られながらも、素晴らしい画業をこなし、みんなから愛されていたフィリッポ・リッピ。

しかし、ついに二進も三進もいかなくなる事態に発展します。

 

絵画のモデルをお願いしていた若き修道女・ルクレツィアと駆け落ちしたのです。

しかも駆け落ちした上で、子供まで授かってしまいました。

当時フィリッポ・リッピは50歳で、女子修道院の礼拝堂で司祭をしていた身です。

これはもう、昨今話題になっている某アイドル男性による番組共演者の10代女性へのわいせつ事件を超えるレベルの大問題でした。

 

こうしてフィリッポ・リッピは、ついに修道院を出禁になってしまいました。

が、ここでもまたパトロンのコジモが手を差しのべます。

コジモは、教皇ピウス2世をとりなして、フィリッポ・リッピは教皇から還俗(聖職者が俗人に戻ること)を許されたのでした。

 

愛は社会の障壁をも乗り越える

今から600年も前の話なので実際どうだったかは分かりません。

ですが、きっとフィリッポ・リッピはただの火遊びでルクレツィアに手を出したのではありません。

それは還俗後、彼がルクレツィアときちんと結婚したことからもうかがえます。

 

嘘偽りなく愛していることが多くの人に伝わったのでしょう。

フィリッポ・リッピはその後も妻・ルクレツィアをモデルに素晴らしいキリスト教画をいくつも描きました。

さらに、修道院を出禁になったときにルクレツィアとの間に最初に授かった子は、名をフィリッピーノ・リッピと言い、後に父と肩を並べる画家になります

 

……さて、僕はここまでまだフィリッポ・リッピの絵を一枚もお見せしていません

それは、フィリッポ・リッピという一人の大変魅力的な男性が描いた絵というものが、いかなるものなのかをみなさんに体感していただきたかったからです。

 

より分かりやすくするために、フィリッポ・リッピの同時代のライバル画家であり、彼とは対照的で慎ましい典型的な修道士であったフラ・アンジェリコの絵と並べてご紹介します。

まずはフラ・アンジェリコの絵です。

フラ・アンジェリコ「聖母戴冠」

フラ・アンジェリコ「聖母戴冠」(引用:Wikipedia)

いかにもキリスト教的な、静かで神秘的な雰囲気の絵です。

 

では、フィリッポ・リッピの絵を見てみましょう。

フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」

フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」(引用:Wikipedia)

いかがでしょうか。

画面左で、女性らしい艶めかしさを醸し出してたたずむ聖母、そして愛らしい笑顔でこちらを振り返る画面右下の天使。

これは、それぞれ妻・ルクレツィアと、息子・フィリッピーノをモデルにしていると言われています。

 

この絵がフィリッポ・リッピの手によって生み出されたとき、鑑賞した人々は誰もが”生きた絵”を体感したことでしょう。

修道士としては問題児だったフィリッポ・リッピ。

ですが彼は、妻への愛、息子への愛によって、社会の障壁を乗り越えたのです。

 

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  1. 黒一色で描く内気な画家を変えたのは、愛でした。

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ABOUTこの記事をかいた人

ナナシロ

アート、ホラー、面白系コンテンツの企画屋。Webクリエイター。怪談師。アートサロン『Artfans.jp』主催。添い寝屋。 自分にしっくりくる生き方を探していたら『らぶりりーす』にたどり着きました。 ツイッターで恋愛相談に乗っています。