【責め絵】画家・伊藤晴雨はなぜ女体責めを描き続けたのか

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参照:外道の群れ 責め絵師・伊藤晴雨伝
こんにちは。らぶまじぱ編集長のあんちゃ(@annin_book)です。

今回はあんちゃが日本の性の歴史を学んでいた中で知った「責め絵師」伊藤晴雨についてご紹介。この人の生涯もなかなかぶっ飛んでるなという印象。興味深かったです。

 

伊藤晴雨って何者?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%99%B4%E9%9B%A8

大正~昭和にかけて活躍した日本の画家。女体責めを描く「責め絵」を得意としていた。

この世の地位には目もくれず、ひたすら責められる女、苛まれる女の絵を生涯描き続けた男である。

引用:世界エロス大全―「悦楽」と「偏愛」と「禁断」の園 (文春文庫)

決して表の絵画史には名が残ることがなかった伊藤晴雨。しかし自分の性へのこだわりと姿勢を貫き通した作風は「責め絵」という新しい絵画の領域を切り拓いた。

「好きなことを仕事にする」とよく言うことだが、こんな自分の性癖すらも仕事として極め、歴史に名を残すほどの執着はある意味見習うべき姿勢だ。

 

なぜ「責め絵」を描くようになったのか

伊藤晴雨は幼いころに狂言(芝居)をみて、折檻シーンや女の髪の臭いに執着する性癖が現れたらしい。そのときから緊縛される女の絵草子などを見ては興奮を覚えていたとのこと。

そこから今度は「自分で緊縛された女を描きたい」と思うようになり、思春期時代から本格的に責め絵を描き始めたそうだ。

まさか幼少期の頃にサディズムに目覚めるとはなかなかの強者である。加えて晴雨の絵にはあらゆる”責め”に乱れる黒髪が鮮明に描かれていて、よほど髪フェチであったことがうかがえる。

 

女の影が絶えない生涯

そして伊藤晴雨の生涯もまた欲望に忠実で、3度の結婚や愛人をつくるなど、女の影が絶えない人生だったようだ。

最初の妻には全く責め絵を理解されず離婚。そしてその後、責め絵のモデルとして「お葉」という女性と出会って恋に落ちる。(かなり美人だったらしい)

このお葉をモデルに相当数の作品を生み出したようだが、お葉は後に大正を代表する画家・竹久夢二に略奪されてしまった。地位とは無縁の世界にいた伊藤晴雨は、有名画家に好きな女を奪われた苦しみとやるせなさは相当のものだっただろうと思う。

しかしその直後に2番目の妻と結婚し、その妻にも責め絵のモデルをさせたのだ。伊藤晴雨の代表作「雪責め」と「妊婦責め」である。

※雪責め:女を半裸にして縛り上げて雪中に半身を埋めた作品

※妊婦責め:妊婦を逆さ吊りに縛り上げた作品

 

「愛する人をここまで非情に扱えるのか」という批判ももちろんあるのだが、わたしはむしろその妻がモデルになることを承諾したことに晴雨への深い愛情を感じた。結局はこの妻とも離婚してしまったのだが。

 

名声や金よりも自分の欲を追求し続けた男

3番目の妻は病気による死別を経験し、最終的に晴雨は独り身となってしまった。大正12年に起きた関東大震災により、晴雨が挿絵等の仕事をもらっていた新聞社・芸能関係の会社が全滅。収入すらも底をついてしまったのである。

その後はほそぼそと挿絵・イラスト関係で仕事をこなしつつ、最終的には1960年に”挿絵画家”としての功績が認められ、「出版美術連盟賞」を受賞した。

 

晴雨は結局「責め絵師」としての評価はほとんど受けずにこの世を去った。しかし没後にこうして注目されるようになったのは、紛れもなく晴雨が地位や金に目もくれず「自分の性へのこだわり」を極限まで追求した結果かと思う。

晴雨の行為が倫理的に問題あるか、というのは一概に述べることはできない。ただ倫理やモラルという次元を超えた異常な執念には頭が下がる思いである。

 

ぜひ読んでもらいたい2冊

▼晴雨だけでなく、歴史上の異常性癖を持つ人物たちの生涯が書かれた珍書。めちゃくちゃ面白い。

▼官能小説家・団鬼六が描く伊藤晴雨の生涯。